「いきなはからい」、「いきな柄」、このきわめて感覚的な美意識はどんな要素から成り立っているか。その対極に位置する 野暮(やぼ)・無粋(ぶすい)とは?
哲学や思想の本というのは、その人があることがらについて深く考え、その到達点なり思考の過程を人に伝えるべく書かれた本である。読む方もたいへんだが、少しでも自分の考えがよく伝わるように書くという点で書く方もたいへんだ。「いき」や「風流」、「情緒」について、これほど深く考え抜いた人がいたということがまず驚きである。そしてそれを言葉で書き表すなど(筆者は図に示すことまでしている)、そんな試み自体そもそも「いき」か「野暮」か。半分もわからなかったけれど、実に綿密な思考と論の組み立てがおもしろかった。峻険な山に登るような読書をたまにはしてみようと思う方、どうぞ。