戦後、日本国憲法のもと、いやしくも民主主義国家、平和国家として70年も歩んできたこの国で、今なお清算されない戦争と植民地支配の責任がある。「それはどんなことですか?」と問われて、私も、そしておそらく多くの人も答えられない。「知らない」ということは、恥ずかしいことであり、情けないことであり、時にそれではすまされない罪なことでもある。“戦争を知らない子供たち”のさらに後の私などには戦争責任は負いようもないが、では戦後責任はどうかとなると・・。日本国として戦後当然行うべき社会正義が行われてこなかったとしたら、この国の主権者たる国民の一人として、私にもそれはある。知らなかったですまされないとは自分のことだ。
一つの例として、本書でとり上げられている次のような裁判があったことを私は知らなかった。「大日本帝国の国民だった在日朝鮮人のAさんは日本兵として戦争に行き、利き腕を失って帰ってきた。戦後、日本政府は在日朝鮮人らの日本国籍をはく奪。Aさんはある日突然外国人にされてしまった。日本国籍なら当然受け取れる戦傷障害年金がもらえない。Aさんは裁判に訴えた。しかし、日本の司法は国籍を盾に、とうとうAさんを救済することはなかった」 複雑な事情があるのかもしれないが、単純に考えて、外国に侵出してその国を植民地にし、日本への同化政策を進めて戦争にまで行かせたのは戦前戦中の日本。負傷して帰った人を救済するどころか、日本国籍を取り上げ、切り捨てたのは戦後の日本だ。本当にこんなことがあったのだろうか、この戦後の日本で。事実とすればこの不正義を「戦後責任」と呼ぶ。
戦争が終わって70年あまり。今なお近隣の国々との軋轢が増している理由と、この国のあり方を深く考えさせられる本。
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まさに副題のとおり。著者は長年にわたって日本の認知症医療をリードしてきた。もの忘れ外来などで行われる口頭の検査も著者が考案したものである。認知症の定義は「成年期以降に、記憶や言語、知覚、思考などに関する脳の機能の低下が起こり、日常生活に支障をきたすようになった状態」という。認知症の本質は「いままでの暮らしができなくなる」という暮らしの障害だ。年をとれば誰でも認知機能は低下する、それは自然なことというとらえ方がまず第一だろう。認知症と診断されたからと言って、ある日いきなり別人になるわけではない。自分が認知症であることを周囲に言う、言わないはともかく、これからの社会が、認知症であることをさげすんだり、恥ずかしいと思わせてしまったりすることのないものでありたい。
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本(文芸書)の帯に各地の書店員からのコメントがずらっと並んでいる。〇〇書店△△店誰々さん、・・・。書店員から評価された本は栄えある本屋大賞に選ばれることにもなる。書店員さんにとっては、ヒットした本の帯に自分のコメントが載るというのはすごいことだ。が、逆に帯のコメントが本をヒットさせることにもつながるとすれば、名前が出た人たちはカリスマ書店員ということになる。この小説の主人公は谷原京子、29歳。東京近郊の中規模書店の契約社員。書店員として働くことのやりがい、使命、人間関係、その悲喜こもごもがとてもリアルに描かれ、ぐいぐい引き込まれる。また、作者の語り口はとてもぴちぴちと弾んでおり、思わず笑ってしまうところがある。読んでいて愉快な作品。
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